消せない旗の元に

事の起こりは一通のメールでした
古い友人の一人からのメールは珍しかったので、急を要する事態が起こったのかと思って誘いを受けました。
相談に乗って欲しいことがあるそうなので、一通り友人の話を聞いてみました。


うん。本当に私は無力だと思う
最近は立て続けにこういった相談を受けているのですが、その度に無力さをかみ締めています。
経験でしか培えないものであるというのはわかるのですが、最近はそれが集中しすぎでしょう・・・
ぼやいているだけでは、私に相談したいという友人の信頼を裏切ることになるので、以下は私なりの意見をまとめました


厳しいことを言うようだけど、社会に出るということを甘く考えすぎているんじゃないのかな?
やりたいことが仕事になっている人なんて極僅かであるのだから、妥協の職業を甘受している人が大勢いるということも事実
だからといって、そのまま流されても良いのかと言えば、それは否定されるだろう。
周りが続々と決まっていってあせる気持ちもわかる。社交的であるほうが合格の秘訣のように見えるということもわかる。
でも、無理に自分を偽ったところで何の意味があるのだろう?
素の自分を気兼ねすることなく出すということが重要なのではないのかな?
前の失敗にいつまでも拘りすぎて、今の選択を放棄するなんてことは愚の骨頂としか言い様がない。
ふてくされてる暇があるなら、次の機会を探さなきゃ。
現実の社会というのは、多分私が考えている以上にシビアな部分があるんだろう。その中でいつまでも同じところに留まっているというのは、とても危険なことだと思う。
ゆっくりしたいという気持ちは誰もが持っているけれど、無常なことに世界は常に変容を遂げている。
その変容にうまく対応していかなければいけないし、そういった力は誰しもが持っているものだ。
そういった能力が長けていれば、世渡り上手ということに成るのだろう
まぁ、世渡り下手だとしても生きてはいけるし、諦めるのはまだ早い
諦めるということは嫌いだから、足掻くことを強くお勧めする。
なぜ諦める必要があるのか?諦めて救済が与えられる、なんてことはないことくらい、もう十分に知っているはず
君とは違うからとか言い訳するな
厳しいかもしれないけれど、もう待ってはくれない状態なんだからちゃんと考えなきゃ。
私はここに来るときにとても悩んだ。口では言い表せないくらい様々な葛藤を乗り越えて、私はここに来ることを選んだ。
どんな人であれ、この試練を課せられない人はいない。
その番が来たんだと思って、どうか悔いのない選択をして欲しい。


話してる途中で携帯の電池が切れたので、こういった形での回答となった。
本当に厳しいことしか言えないけれど、君なら乗り越えられると信じてあえて言う。